浴衣

〈1962年 日本レコード大賞新人賞受賞記念〉
  下町の太陽
 ■倍賞千恵子ヒット歌謡集■

   (昭和38年2月26日(1963年)発売,キングレコードLKF 1336,1000円)


△第1面△
下町の太陽
 横井弘作詞,江口浩司作曲
ああ懐かしのキャンプファイヤー
 矢野亮作詞,吉田矢健治作曲
恋人なんてめんどくさい
 サトウハチロー作詞,小川寛興作曲
十和田湖に結ぶ恋
 矢野亮作詞,林伊佐雄作曲(コーラス:ヴォーチェ・アンジェリカ)

△第2面△
高原の花
 高橋掬太郎作詞,飯田三郎作曲
チコ街をゆく
 矢野亮作詞,吉田矢健治作曲
約束のポプラの下で
 十津川光子作詞,林伊佐雄作曲
瀬戸の恋歌
 横井弘作詞,牧野由多可作曲(松竹映画「はだしの花嫁」主題歌)
小さな二人の幸せを
 杉野まもる作詞,桜田誠一作曲(NHK芸能ホール「幸せはここに」主題歌)


 このLPは、私が持っている最も古いLP。懐かしい曲ばかりである。
もちろん「下町の太陽」は、倍賞千恵子さんのデビュー曲でかつ最大のヒット曲である。その誕生秘話を山本健治さんがつれづれエッセイで述べられている。
横井弘作詞、江口浩志作曲で、倍賞千恵子が「下町の空に かがやく太陽は よろこびと 悲しみ……」と歌った『下町の太陽』も、同じ傾向と言えるだろう。吉永小百合が浦山桐郎監督の映画『キューポラのある街』(埼玉県川口市の荒川近くの鋳物工場を舞台に青春群像を描いた秀作)で貧しいけれど夢を失わないで生きていく少女を演じたことに刺激されてというと、本人は「そんなのではない」と言うだろうが、売り出す側のレコード会社は「こちらこそ"ほんもの"の下町の少女」を強調してデビューさせ、歌わせたものである。すでにSKD(松竹少女歌劇)のダンサーとして、それなりの活躍をしていた倍賞だったから、あえてこのような売り出され方をする必要もなかったのだろうが、三橋美智也や春日八郎のヒット曲を何曲もつくってきた作詞・作曲の二人の意気込みは半端ではなかった。佐伯・吉田への対抗意識もあって、何としてもヒットさせようとやっきになっていた。「下町」など強調したところで売れるはずがないと見込んで、キングレコードは誰か有名歌手のB面でいいと、A面を渋ったのを、強硬に主張して発売させたといういきさつがあったのだが、作詞作曲の二人の意気込みと、歌った倍賞千恵子のういういしさがうけて、大ヒットしたものである。
 なんと倍賞さんデビューには吉永小百合との対抗意識があったという。この年のレコード大賞は、橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」が獲得したが、倍賞さんも「下町の太陽」で新人賞を受賞、歌手・女優へと偉大なる一歩を踏み出した。受賞を記念して出されたこのLPについては、倍賞さんへの期待が込められた藤井肇さんの解説が一番。一部を紹介させていただく。
倍賞千恵子さんへの期待   ▲藤井肇▲
千恵子さん! おめでとう!! 昭和37年度日本レコード大賞選考会の席上、あなたが最高点で女性歌手新人賞に決定したとき、私は内心大きな喜びを禁じえませんでした。もちろんあなたのファンの一人として・・・。このはえある受賞こそ、第二の門出への最良のはなむけと思います。すなわち舞台・映画における人気とはまた違った意味の成功をかちえたとともに、新しい希望と責任があなたの前途に約束づけられたのではないでしょうか。
思い起せば、浅草国際劇場のステージで張り切って活躍されていた千恵子さんは、当時から、将来の大松竹をになう最大のホープとして多くの識者の間で注目されておりました。何百何千の数にのぼるSKDのお嬢さん方の中で、歌って踊って芝居ができるという三拍子ぞろいの抜群の成績をあげるには、並々ならぬ苦労と努力、それに天賦の才能が必要なのです。
私はこの記念アルバムをきいて、日本の歌謡曲にも庶民性の必要なことを改めてシミジミと再認識いたしました。あまくてソフトな声質、かざりけのない素直な表現、それがあなた自身の性格を雄弁に物語っております。1963年はあなたの年です。銀幕の上で芸域をいっそうひろめるとともに、「オウタ」の勉強も一生懸命はげんでください。キングレコードの諸先生方のご指導のもと、チコに最もふさわしい歌と取り組んで、ちょうどあなたの大好きな弟さん明君がグラウンドで胸のスカッとするようなホームランをカッとばすように、負けずに今年も大きなヒットを出していただきたいものです。 そしてもうひとつの希望は「恋人なんてめんどくさい」などといわずに、「大きな二人の幸せを」つかむよう、あなたの目の前に、すばらしい男性が出現することを心から祈っております。

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